亀田郷の歴史探訪
土地改良前の農業
新潟市亀田郷土資料館
館長 三 村 哲 司
昭和24年〜26年、耕地整理前後、亀田郷の耕地は戦前の「芦沼、地図にない湖」と言われた水田が一面に広がっていた。
農家の人達は、当面の食糧難に対応すべく、できるだけ多くの食料〜米を増産しよう。それが当時の農家の生業であった。
その頃の農作業のは@田打ち、A客土、B畦ざらい、C整地、D田植え、E土取り、F除草、G稲刈り、Hはさかけ等、春夏秋冬季節に応じて続くのである。
@田打ち
まだ雪の残る2月〜3月で足踏み水車で田の水を排水しなければならない。その後、
牛馬使い、あるいは、寒気をいとわず、平鍬や三本鍬を振るって「天地返し」といって、
できるだけ深く耕すのである。
A客土
亀田郷では「田普請」とよんだ。前年の4月〜6月中旬、土手や堤に積んでおいた土
を田舟に積んで自分の田に投入、散布する。
Bあぜざらい
亀田郷の農家では「クロトリ」と呼んだ。畦際に生える葦や真菰などを取り除く、除草
と前後して3回程行う。
C整地
この辺りの農家では「シロカキ」といった。4〜5月頃水車で排水して肥料を散布しな
がら平鍬などで均すのである。
D田植え
5月中旬、一家総出で苗代に育った苗を田に植える。
E土取り
翌年の客土に使う土を栗ノ木川や焼島潟から長さ5mもの竹竿につけた鋤簾で掻き
揚げ、自分の田へ運ぶ。
以上@〜Eの農作業について概略を述べてきた。
残余のF〜Hについては次回に譲りたいと思う。
往年の俳人 高浜 虚子 は、戦後亀田を吟遊して名句を残している。
『遙々と亀田の早苗取りを見に』
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