亀田郷の歴史
かめだごうのれきし
亀田郷
(
かめだごう
)
の
歴史
(
れきし
)
を古い
写真
(
しゃしん
)
からお
伝
(
つた
)
えします。
大正2年
木津
(
きつ
)
切れ
(横越町・小阿賀野川)
いったん堤防が
決壊
(
けっかい
)
すると、水は何日もひかない。亀田町は、
浸水
(
しんすい
)
した水で混乱した。
大正6年
曽川
(
そがわ
)
切れ
(信濃川)
うずまく
濁流
(
だくりゅう
)
。この巨大な水魔は、どれほど亀田郷に
襲
(
おそ
)
いかかったのだろう。
栗ノ木排水機場
(
くりのきはいすいきじょう
)
昭和23年 運転を開始した栗ノ木排水機場。東洋一の排水能力で亀田郷を
乾田
(
かんでん
)
にみちびいた。
昔の農作業のようす
ジョレン
掻
(
か
)
き
低湿地
(
ていしっち
)
の農地をわずかでも高くするため、
寸暇
(
すんか
)
を惜しんでは続くジョレン掻き。
満載
(
まんさい
)
した泥のために舟が
転覆
(
てんぷく
)
し、川や
潟
(
かた
)
で水死した農民もいたという。
共同作業の田植え
新生した農地にふさわしく、農業の姿も近代化された。裏作や共同作業など、農地の成長はめざましい。
田植えのワク押し
稲刈りのようす
水の中へカマをさして稲を刈り、刈られた稲を集めて小舟(きっそう)で押す。多くの人が
神経痛
(
しんけいつう
)
、
胃痛
(
いつう
)
に悩まされていた。
はさかけ