亀田郷の概要



司馬遼太郎「街道をゆく〜潟のみち」の舞台 亀田郷

位置図


大いなる大河信濃川と阿賀野川にはぐくまれた、緑豊かな都市近郊の田園地帯

亀田郷は日本海側の中心都市新潟市の中央部(旧新潟市南東部とこれに隣接する旧亀田町と旧横越町を包含する地区)に位置する緑豊かな田園地帯です。信濃川と阿賀野川そして両河川を連絡する小阿賀野川に囲まれた低平輪中地帯という地理的特徴を持ち、利水・治水や土地基盤整備が市町村という行政の単位を超えて進められてきた歴史を有し、これにより今なお亀田郷は農業や生活面で一体的な社会を形成しています。

利水・治水のあゆみ〜芦沼から乾田化へ

「農業というものは、
 日本のある地方にとって死に物狂いの仕事の連続であったように思える」

司馬遼太郎の「街道を行く〜潟のみち」の冒頭の一節である。

亀田郷一帯を人々は「芦沼」とよび、「地図にない湖」とも表現した。農民は冷たい水に腰までつかりながら田植えや刈り入れの作業を行っていた。しかし、稲は半ば水草のように浮いて育ち、満足のいく収穫は得られない。また海が荒れると海水が川を逆流し、稲を腐らせてしまう年もあった。農民は食料を得られないという不安を抱きながらの生活を強いられてきた。

乾田化以前の亀田郷の風景 乾田化以前の亀田郷の風景
●乾田化以前の亀田郷の風景  


このように、亀田郷は戦後まもなくまでは信濃川下流域で最も開発が遅れた地域でした。海面以下の土地が約2/3をしめ、日本海の潮位に左右される低湿地帯でした。このような非近代な土地条件の中において、昭和16年、食糧確保という戦時行政の一環として統一機械排水を主体とした、国営土地改良事業が着手されました。基幹排水路を建設し、ここに集められた水をさらに大規模排水機場を建設して信濃川、阿賀野川に排水するという大規模な事業でした。工事は戦後まで続き、ついに昭和32年に乾田化に成功、かつて「芦沼」と呼ばれた水面は広大で緑豊かな大地へと変貌したのです。

現在の亀田郷の風景 亀田郷土地改良区 水利システム
●現在の亀田郷の風景 ●亀田郷土地改良区(水利システム)

以後の亀田郷は新潟市の急激な都市化に対応し「都市と農村の調和」を前提に、自然環境に考慮した快適な生活環境の整備と先進的技術による近代的農業経営の確立をめざしています。

米どころ亀田郷は、野菜や花の生産も盛ん、そして幻の鮭と日本一の米菓の産地でもある

亀田郷の農地面積は約4,800ha、実に東京ドーム1000個分の広さにもなります。そのうち水田は4,100ha、コシヒカリを中心に年間約3万トンのお米が生産される、県内でも有数の穀倉地帯です。

春の水田風景 秋の水田風景
●春の水田風景 ●秋の水田風景

日本海側第一、48万人余りの人口を抱える新潟市の近郊という条件もあり、施設野菜露地野菜の生産も盛んです。ハウスではトマトやキュウリ、ホウレンソウなどのほか、苺やメロンなども作られています。露地の畑では馬鈴薯やキャベツ、ネギ、なすなどが栽培され、新潟市内はもちろん関東方面の市場にも出荷されています。

ハウス キュウリを栽培するハウス内部
●ハウス ●キュウリを栽培するハウス内部

亀田郷は県内最大の花卉園芸産地でもあります。新潟県はチューリップ球根の生産で全国一を誇り、その中でも亀田郷は最大の産地で、横越地区(旧横越町)を中心に年間1,300万球以上の球根を生産しています。また、チューリップの他にもアイリスの球根、キクやユリの切り花、鉢物ではランなどが盛んに栽培されています。

春のチューリップ畑 切り花を栽培するハウス内部
●春のチューリップ畑 ●切り花を栽培するハウス内部

梅林風景 亀田郷は梨や梅の果樹栽培も盛んです。亀田地区(旧亀田町)の梅は県内一の生産量を誇ります。ところで、新潟市の北山地区、ここには日本全国に幻の名酒と名をはせる地酒の酒蔵があります。その名前も越の寒梅。
●梅林風景

亀田製菓 「亀田のあられ、おせんべい」、ここ米どころ亀田郷には日本一の米菓の生産量を誇る亀田製菓の本社と工場があります。オフィスビルと見間違う様な近代的な工場で生産される米菓は亀田の名前とともに日本全国で親しまれています。
●亀田製菓